足袋を入り口に行田とつながる。〜行田足袋への想い〜

私は、普段から足袋を履いている。靴下ではなく足袋を履く。

そして履いている足袋は私の出身地である埼玉県行田市(ぎょうだし)で作られている足袋だ。

決して靴下が嫌いで足袋を履いているわけでもなく、靴下を否定したいわけでもない。

もちろん、足袋の履き心地に惹かれていることは間違いないが足袋を履く理由はそれだけではない。

私が足袋を履く1番の理由、それは、

多くの人に足袋を知ってもらい、行田とつながる人が増えて欲しいと思っているからである。

今回はこの行田足袋への想いをまとめていく。

目次

足袋と出会い気づいた行田への想い

行田には足袋がある。何もないってことはない。

埼玉県北部に位置する行田市は250年以上前から足袋づくりが産業として成り立っている足袋のまち。

行田市は古くから「足袋のまち・行田」と言われている。足袋が作られていたという事実だけではなく、足袋産業を中心に町が形成され、発展してきた背景があるからだ。

しかし、行田足袋というその土地ならではのものがあるのにも関わらず、行田に馴染みのある人ほど行田足袋についてよく知らない人が多いように思える。

「行田足袋」「足袋のまち」などの言葉だけが先走り、その言葉の背景にある土地性や歴史、技術などは置いてけぼりにされ結局言葉しか残らないというのが現実ではないだろうか。

世の中には「この町には何もないよ。」この言葉を平気で軽々という人がたくさんいる。私はそこにとても違和感を感じるし悲しくなる。何もないわけがないんだ。何かあるから今の町がある。私はそう思う。

このことは行田にも言えて、「行田?何もないよ」「足袋しかないよ」「田んぼが多いだけ」などなど行田には何もないと思っている人は想像以上に多い。

私はそれがただただ悔しい。行田には足袋があるのに。

行田の場所

足袋と出会い大きくなった行田に対する想い

私は行田で生まれ育ったが行田について数年前まで知らないことが多すぎた。小さい頃から「行田は足袋のまち」という認識はあったが足袋を履いたことも直接手で触れたこともなく、正直にいうと「足袋なんて」っていうくらい足袋に対して想いは全くなかった。いわゆる「このまちには何もないよ」と簡単に言うような人間だったのだ。

だが、2019年に日本のものづくりに魅了され、自分の地元に目を向けたときに足袋を履いてみようと思った。当時、足袋と聞くと真っ白で着物などに合わせるものという認識しかなかったが、実際に見てみると様々な柄があり、現代の日常にも足袋は馴染むのではないかと思った。

実際に足袋を履いて生活してみると、足の蒸れが少なく感じたり、足元の寒さが軽減されたり、包み込まれるような感覚があって足袋の履き心地の良さにも驚いたのを今でも強く覚えている。

そして、足袋そのものから、行田足袋の歴史や技術、そして行田という土地へと興味や関心は段々と広がっていく。

「足袋がどのように作られているのか」「どうして行田で足袋が作られるようになったのか」など行田足袋の背景が気になるようになる。調べていくと行田の土地性や歴史的な背景が大きく関わっていることがわかってきた。

そうすると、行田についてもっと知りたいと思うようになる。もっと知るために行田の街を歩いてみたり、郷土料理を食べたり、今までにはない角度から行田というまちを見るようになる。

当たり前のように住んでいて何も気に留めていなかった行田の見方が少しずつ変わっていることが自分でもわかった。

行田の郷土料理「ゼリーフライ」

「あ、行田っておもしろい」

私はいつの間にか行田ならではのものである足袋をきっかけに行田のことを想うようになっていた。

250年以上作り続けられている足袋は心から素晴らしいものだと思う。そして歴史的な建物、地理的な位置、ものづくり、角度を変えてみてみると行田は色々な可能性を持っている場所だとも思っている。

行田に興味を持ってくれる人、来てくれる人、関わる人、どんなに小さくても良いから行田とつながる人が増えて欲しいと思っている。

行田との繋がりを多くの人に生み出す1つのきっかけとなれるもの、それが足袋だ。

世界中に行田足袋を知って欲しい、だから私は足袋を履く。

その土地ならではの”もの”に触れるって大事

みなさんの馴染みある土地ならではの”もの”ってなんですか?

食べ物、祭り、場所、もの、風景‥‥なんでも良い。

きっとそれぞれ浮かんでくるものはその土地を語る上で重要なものではないだろうか。

私が足袋をきっかけに行田という土地に想いが大きくなっていったように、1人1人がその土地ならではの”もの”に触れることでその土地のことをちょっとだけ誇らしく思えたり、少しだけ好きになったりしないだろうか。

そのちょっとした想いの変化がその土地で食事をしたり、誰かを観光に案内したり、隣にいる人に自慢してみたりと、ちょっとした行動の変化に変わっていくんじゃないかな。

そんな人が1人から5人、10人、100人にってどんどんとその土地に増えたらその土地が持つエネルギーってどんどん大きくなるんじゃないかな。

そのエネルギーが大きければ大きいほどものづくりをはじめとするその土地の産業は変わっていくと思っている。

(完)

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この記事を書いた人

足袋の町、埼玉県行田市で生まれ育つ。
海外から帰国後、日本のものづくりに心を奪われ続ける。
歴史や背景などのストーリーがあるもの、作っている人の思いが詰まっているもの、こだわりで溢れているものに心が熱くなる。
服、旅行も好き。そして人の笑顔も好き!!

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