「長崎ハタ」空を舞うけんか凧

「これは凧なのか?」

まるで国旗のような配色と模様にとても惹かれた。

長崎県にある、「長崎凧(ハタ)」というものを知っているだろうか。「凧」と書いてハタと読み、長崎の人は凧揚げではなく「ハタ揚げ」というそうだ。外国文化の玄関口となっていた出島がある長崎で生まれた長崎ハタ、知れば知るほど長崎という土地と深くつながっていることが見えてきた。

どのように土地とつながり、どのように空を舞うのか。長崎ハタについてじっくり見ていこう。

目次

長崎ハタの特徴

遊びであり闘いでもある
「けんか凧」

長崎ハタの原型となったインドの凧「インディアンファイター」

平安時代に中国から日本に伝わった凧は、紙の鳶(とび)と書き「紙鳶(しえん)」という名前で、魔物や病気などが風に乗ってくるのを防ぐ「厄払い」の縁起の良い遊び道具として全国的に広まった。基本的にはより高く揚げることを競い、立春の時季に空を見上げると健康に良いとされていたことから、子どもの健康や健やかな成長を祈願する意味も込められお正月の遊びとしても定着した。

しかし、長崎ハタは高くあげることを競うのではなく、空で凧を交わらせて互いに糸を切り合うことを競う。ガラスの粉を練って、麻糸に塗りつけたビードロヨマ(糸)を使って操縦し他の凧を切り合うのだ。このような凧を「けんか凧」といい、発祥の地とされるインドの「インディアンファイター」という凧が長崎ハタの原型とも言われている。現在でもインドやパキスタン、インドネシアなどの東南アジア諸国では余暇の1つとしてけんか凧が盛んに空中を舞い、切れ味鋭い糸で大きな怪我をする人もいるようだ。

日本にも愛知県の田原凧、新潟県の白根大凧、静岡県の浜松大凧などけんか凧が主流の場所はいくつかあり団体競技として複数人で1つの凧を操作し切り合うことが多いなかで、長崎ハタは1人が1つの凧を操作して1対1で切り合う。まさに遊びでありながら本気の闘いだ。

けんかに適した構造

日本には地域性豊かな凧が全国各地にあり、菱形、六角形などの多角形のものから大胆な絵が描かれた角形、鬼やひょうたんの形をした細工凧まで多種多様である。相手の凧を切って落とすことが目的の長崎ハタと他の凧との違いはどこにあるのか。まずは構造の違いについて。長崎ハタに求められるのはなんといっても操作性である。高く安定してあげることが目的ではなく凧を操縦し相手の凧を切り落とすことが目的である長崎ハタの構造は風力を利用して上に下に、左に右に自由に動かすことができるような操縦のしやすさを考えた構造になっている。

骨組み

長崎ハタは菱形が代表的だ。風を上下左右に流せるよう、2本の竹を縦横十字にバランスよく組み合わせて骨組みをつくり、その骨組みを囲むように糸を張って外枠をつくる。他の凧は高くあげるために必要な風圧を最大限吸収できるような強度になるように、かつ風を受けたり逃したりしながら安定するように骨組みに3本以上、外枠にも竹を使用して作られる。

ヒュウ

長崎ハタには左右に「ヒュウ」というものがついている。通常は凧を安定させるために凧の下部についているヒラヒラした尾っぽをつけるが長崎ハタには尾っぽがなく左右にヒュウをつけるだけである。理由は、上空で安定してしまうと自由に動かして糸を絡ませることができないので、あえて不安定にしながら落ちないように左右のヒュウでバランスを取っているのである

起源は船旗
長崎ハタの紋様

次に長崎ハタのデザインについて。一見、国旗のようにも見える長崎ハタの紋様だが、白紙に色を塗ったり絵を描いたりするのではなく、刷毛染めした和紙を紋様の形に切ってはぎあわせて作られている。色は和紙の地色である白と赤と青が基本でまれに黒が使われることもあるそうだ。

そしてシンプルではっきりとした長崎ハタの紋様は、オランダ船の船旗や信号標識旗をモチーフにしており空に舞いあがった時に目立つように作られている。

長崎ハタと長崎市

ここからは長崎ハタがなぜ長崎の地に根付いたのか、長崎という土地に着目しながら長崎ハタの今までと現在を見ていく。長崎は元亀元年(1570) の開港以後、急速に発展し町並みが形成され、各地から多くの人々が移住してきていた。特に中国の人たちが多く滞在していたようで、春になると、多くの人たちが凧をあげていたようだ。その時の凧は長崎ハタのような形ではなく中国から伝わったいわゆる高くあげることを目的とした凧があげられていた。ではそこからどのようにして長崎ハタに変わっていったのだろうか。

外国文化の玄関口
出島とインドネシア

長崎諸役所絵図の出島部分
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyuhaku/P15013?locale=ja

まずは長崎ハタのはじまりについて。寛永13年(1636)にキリスト教の布教を阻止するためにポルトガル人を収容する島として作られた人口の島、出島。3年後に出島からポルトガル人が追放され、無人となった出島にはオランダ商館が設置されオランダ船との貿易拠点となった。オランダはジャカルタに東インド会社を設立するなどインドネシアを独占していたため出島のオランダ商館には多くのインドネシア人が滞在していたと見られ、長崎ハタのはじまりとされるのもこのインドネシア人が関係しているようだ。

1800年前半に書かれた「長崎名勝図絵」には長崎商館の二階建ての屋根の上にいるインドネシア人と橋の上の長崎の人々が凧の切り合いをしている場面が描かれており、この頃にはすでに娯楽となり、出島が作られた1600年前半にはオランダ船に乗っていたインドネシア人によってすでに伝わっていたと見られる。一説によると、不思議な凧を揚げているインドネシア人を見た当時の日本人がそれが何か聞くと、「パタン(インドの凧)」と教えられ、それがなまって「ハタ」になったとも言われているとのこと。

長崎ハタがインド発祥のけんか凧インディアンファイターが原型としていることを考えると、出島の開港によってインドに近いインドネシアの人々が伝えたというのはとても興味深い。

凧揚げ禁止令!?
長崎ハタの流行

切られた凧を取るための道具「ヤダモン」

長崎ハタが流行した結果、かつて凧揚げ禁止令がだされたという嘘のような話が実際にあったようだ。

ハタ揚げで切られた凧をとるため、「ヤダモン」という長い竹竿の先にカギをつけて切られた凧を奪い合う用具がある。そのヤダモンを持ち走り回り、喧嘩口論や畑を踏み荒らすことも多々あり、長崎奉行所から取り締まりがあったというのだ。しかしそれでも事態はおさまらず、1816年に 長崎奉行所は、「決して凧であそばないこと、凧は見つけ次第取り上げる」など、ハタ揚げを厳禁とするとともに所持することも禁止したという。この禁止令により、長崎のハタ揚げは大いに衰退していった。

1850年ごろには再び盛んになったハタ揚げ。長崎のハタ揚げの見所は切り合いである。この切り合いは「ツブラカシ」とも呼ばれ、子どもの遊びに留まらず、専用のハタをつくることはあたりまえで、専用の凧屋を抱えていることも普通のこと。凧揚げには宴席をひらき芸者を呼んでいたという。このことからあまりに凧揚げに熱中すると、財産もつぶしかねないということで長崎ハタに熱中する若者を「ツブラカシ」と呼んだそうだ。ハタ揚げ用語が人の例えにも使われるほど長崎ハタは生活の一部になっていたことがみえてくる。

明治時代には凧揚げに対する規制が全くなくなりさらに流行、大人も子どもも弁当を持ってハタ揚げをしたり、宣伝のための宣伝凧も揚げられるようになった。そして大正時代にはじまった凧揚げ大会は現在、毎年4月に「長崎ハタ揚げ大会」として継承されており、多くの人たちが競い合っている。

長崎ハタの現在

出典:長崎ハタ揚げ振興会 | 【DMO NAGASAKI】市内事業者向け情報サイト

長崎県には県指定の伝統工芸品が10種類ある。長崎ハタもその一つで旗を切り落とすためにあるビードロヨマ(ガラスを巻いた麻の糸)とあわせて指定されている。

竹と和紙だけで作られる長崎ハタ。骨組みとなる竹を細く削りしなり具合を細かく調整、さらに色とろどりのデザインは赤や青に染められた和紙を切って貼りあわせてつくられる。長崎ハタのつくり手は少ないのが現状であるが、毎年大人も子どもも楽しめるハタ揚げ大会が開催されたり、長崎市内各地でハタづくり体験などが行われるなど長崎ハタとの接点は多様である。

長崎ハタは伝統工芸品として技術が継承されていくのと同時に長崎の人々が長崎ハタで遊ぶその風景も継承されているのだ。

長崎ハタのつくり手「小川凧店」についてこちら

参考資料

『季刊民族学』15(1)(55),千里文化財団,1991-01. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953687/1/57

長崎プレスweb マガジン Vol.10 小川凧店の長崎凧

https://www.nagasaki-press.com/kanko/column-kanko/made-in-nagasaki/no10/

関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室 関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室 ハタとハタ職人https://shimamukwansei.hatenablog.com/entry/20150304/1425465409

長崎公式観光サイト
https://at-nagasaki.jp/spot/61008

暦生活 縁起物「凧」
https://www.543life.com/koyomi/post20220123.html

凧の揚がる原理
http://jblog.takoaki.com/?cid=45947

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この記事を書いた人

足袋の町、埼玉県行田市で生まれ育つ。
海外から帰国後、日本のものづくりに心を奪われ続ける。
歴史や背景などのストーリーがあるもの、作っている人の思いが詰まっているもの、こだわりで溢れているものに心が熱くなる。
服、旅行も好き。そして人の笑顔も好き!!

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