佐賀県をくすりの視点から紐解く。サロンパスも生まれた「田代売薬」とは何か

「全国で1番薬局が多いのは佐賀県」というデータがある。

佐賀県とくすり、この2つが深いつながりがあることを知っているだろうか。

調べ始めると、佐賀県鳥栖市東部にある田代地区はくすりの販売が盛んになった地域であるということがわかった。

サロンパスで知られる久光製薬が生まれ、現在も本社・工場が位置しているのもこの田代地区である。

なぜこの田代地区でくすりの販売が発展していったのかを深堀りしていくとそこには様々な背景があり理由がしっかりとあった。

今回は田代地区のくすりの販売について紐解きながら佐賀県と薬の関係についてまとめている。

目次

四大配置売薬拠点の1つ・田代

配置売薬とはくすりの販売方法の一つで、くすりを売る人が個人宅を訪れてくすりを預け半年〜1年後にもう一度訪問し使った分だけお金をもらうという仕組みだ。今では「配置薬」と呼ばれることも多く、実家など馴染みのある人も多いのではないだろうか。

日本には配置売薬の大きな拠点が4つ存在する。

富山(富山県)、大和(奈良県)、近江(滋賀県)、田代(佐賀県)。

それぞれ歴史・土地が背景にありそれぞれの拠点に代表薬があるなど1つの主要産業として発展してきた。

中でも今回紹介する佐賀の田代売薬は対馬藩の飛び地だったこと」宿場町だったこと」大きくこの2点が田代売薬の発展につながったといえる。

歴史から見る田代売薬

対馬藩と田代

田代売薬のはじまりは江戸時代中期と言われている。(諸説あり)

当時、田代は海を挟んだ対馬藩の領地であった。

その対馬藩は極端な農業政策を行なっており商工業に対して領外への進出を禁止するなど極端な制限を設けていたため、農民が副業で売薬をしたり、領外に出て行商をしたりすることはできなかった。

しかし、田代の地は対馬藩の飛び地ということも影響し、数少ない商業が認められていた場所だったため、売薬に精を出す人もいたと言われている。

他の場所に比べて領民への制限が緩かったことで田代の地は売薬を継続することができたのである。

土地から見る田代売薬

宿場町として栄えた田代

田代売薬が発展した1つの理由に交通の要所だったことがあげられる。

長崎街道・薩摩街道沿いに位置していた田代には田代宿という宿場があり、宿場町として栄えた。多くの人の往来が盛んな田代の地には各地のもの・情報が集まってきて多くの商業が発展したという。

富山売薬と田代の関係

田代宿を通過する人の中には富山の配置売薬人もいた。

九州に販路を広げていた富山売薬は福岡を中心に九州各地の田代売薬の得意先を争奪していたのだ。

しかし、交通の要所に位置する田代売薬は富山売薬に比べて輸送費・原料の調達費が安くすむという土地の利を活かして九州での販売を有利に進め販路を大きく広げていった。

田代売薬は一早く九州に販路を広げていた富山売薬と九州の販売圏を競合・接触する中で売薬の方法などを習得しながら発展していったのである。

田代で生まれたサロンパス

田代売薬は「貼り薬」が主力商品という特徴があり、飲み薬を主力商品にして発展した他の3つの拠点とは大きく異なっていて興味深い。

明治時代、政府による売薬の制限、洋薬の拡大などにより一時国内の売薬業界は全国的に下向きになってしまう。もちろん先に述べた4つの拠点も、苦しい状況になりそれぞれが対策を打つようになった。

なかでも田代売薬は、復活の策を模索する中で「軍に薬を卸す」という道で復活、発展の道を歩み始めることになる。

これが田代売薬が貼り薬を主力商品として発展していく一つの要因となったのである。

サロンパスとその類似品たち

軍需用で発展した「奇神丹」

明治時代、サロンパスで有名な久光製薬の前身である久光兄弟合名会社が「奇神丹(きしんたん)」という貼り薬を生み出した。

この商品は、日清戦争に出兵する軍人たちに販売する軍用薬に指定され、その後の日露戦争でもこの奇神丹が使われたと言われている。

それ以降、関西の卸問屋に奇神丹を販売するなど田代売薬の貼り薬の広がりをみせた。

全国に拡大した「朝日万金膏」

朝日万金膏のパッケージ

奇神丹が広がりを見せるなか、新たな貼り薬が生み出される。

和紙にくすりを伸ばした貼り薬、「朝日万金膏(あさひまんきんこう)」だ。

朝日万金膏が生まれる少し前、貼り薬の製造にがはじめて機械が導入されるようになり、朝日万金膏は大量生産が可能になった。また、この朝日万金膏は、関節痛を和らげる貼り薬だったため、大正時代に流行したスペイン風邪の高熱にともなう関節痛に効果があるとして流行したとも言われている。

以上のことが背景にあり、朝日万金膏を中心に田代の貼り薬は全国に販路を拡大していったのだ。

朝日万金膏を改良して生まれた「サロンパス」

朝日万金膏の写真。色が黒いのがよくわかる。

全国に拡大した朝日万金膏だが2点の問題があった。1つは、薬剤の強いにおい。もう1つは肌に黒く残る貼り跡。

これらの問題を改良するために研究を重ね、1934年に生まれたのがサロンパスである。

清潔な白色とさわやかなにおいとなったサロンパスは誕生から長い年月が経った今でも誰もが知る有名な貼り薬とし健在している。

まとめ

今回は佐賀県とくすりの関係について田代売薬を紐解いてまとめた。

佐賀県に薬局が多いことには何か背景があるのかなと思ったのが最初だけれど、こうして土地的・歴史的な部分を深堀りしていくと、根本的には田代売薬という存在が大きく関係しているのではないかと予想がついた。

自分は普段、佐賀県に住んでいるわけではない。だから、佐賀県とくすりには密接な関係があるというこの事実をどれくらいの佐賀県民が知っているかはわからない。

ただ、今回色々と調べてみて言えることは、「佐賀県の田代地区だからこそくすりの販売・製薬が発展した」ということ。

つまり田代地区ならではであり、田代地区にしかない誇りをもてる文化だと個人的には思う。

佐賀県に馴染みのある方はもちろん、多くの人に佐賀県のくすり文化について知ってもらいたいなと思っている。

(完)

参考文献

久光製薬HPより

https://www.hisamitsu.co.jp/company/pdf/csr/CSR2013_06-07.pdf

幸田 浩文:田代売薬にみる行商圏構築の史的展開-江戸時代中期から現代へ-(第13号31p-42p)

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この記事を書いた人

足袋の町、埼玉県行田市で生まれ育つ。
海外から帰国後、日本のものづくりに心を奪われ続ける。
歴史や背景などのストーリーがあるもの、作っている人の思いが詰まっているもの、こだわりで溢れているものに心が熱くなる。
服、旅行も好き。そして人の笑顔も好き!!

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