長崎県の凧「長崎ハタ」。県指定の伝統工芸品の1つであり大正時代から続く長崎ハタ揚げ大会は現在も毎年開催されており、ハタ作りの技術はもちろん、長崎ハタの歴史や文化、楽しみ方まで含めて継承されている。
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長崎ハタの技術と文化を現在、そして未来に繋いでいるつくり手さんが長崎市内にいる。明治40年創業、三代に渡り長崎ハタを作り続ける「小川凧店(ハタてん)」の3代目・小川暁博さんだ。色とりどりの長崎ハタはどのように作られるのか小川凧店の凧作りに迫る。
小川凧店について
長崎駅から車で約20分ほどの長崎市風頭町に小川凧店は工房を構える。明治40年に初代・小川啓太郎氏により創業した小川凧店は、伝統的な手作り一筋の長崎ハタを作り続ける数少ないつくり手さんだ。この小川凧店、長崎ハタの工房でありながら、長崎凧資料館としての役割を担っている。
長崎凧資料館では世界の珍しい凧をはじめ、凧作りの道具や歴史、製作工程の資料が展示してあり、実際に工房を訪れて入口の扉を開けた時に見える、工房いっぱいに長崎ハタが飾られている光景は忘れられない。
小川凧店の3代目・小川暁博さんは、20代のころ2代目のである父親が病気をしたのをきっかけに東京から戻り長崎ハタづくりに取り組んだという。最初こそ副業で生活を支えながらであったが、「とにかくつくれ」という2代目の教えを守りハタづくり1本で生計をたてられるようになったという。現在、伝統的な作り方でハタづくりを専業としているところは小川凧店のみである。
長崎ハタづくり
長崎ハタは2本の竹骨と和紙から本体が構成されており、そこにビードロヨマというガラスを巻いた麻糸をつけて空を舞う形となる。その長崎ハタづくりは大きく3つの技術に分かれている。タテ骨とヨコ骨のバランスをとりながら竹を細く削っていく「骨組みづくり」、和紙を1枚1枚染めて模様に合わせて裁断、貼り付ける作業を全て手作業で行なう「和紙の染色」、ひやご飯とガラスの粉を練り合わせピンと張った糸に塗り込んでいく「ビードロヨマづくり」の3つである。
竹との会話、手との対話
中でも骨組みづくりの中にある竹削りの工程は完成後長崎ハタの揚がり具合を左右する最も重要な工程であると小川さんは言う。
長崎ハタの骨組みはタテ骨とヨコ骨の2本で組まれるのだがこの2本の竹骨、タテ骨は竹の皮をとり、ヨコ骨は竹の皮を残すというように竹の削り方が全く違う。これは長崎ハタの構造が関係しており、ヨコ骨はバランスよくしならせることで左右に風を流す役割を担い、タテ骨は強度を保つ役割を担っている。それに対し竹の皮がしなりを持つという性質がある。その性質を活かし、竹の皮を削り取りしなりが少なくなったものを強度が重要なタテ骨に、皮を残ししなるように削ったものをしなりが重要なヨコ骨にと考えられているのだ。まさに竹の性質を熟知していないとできない。
1本1本、少し削ったら確認、少し削ったら確認を何度も繰り返す小川さんの姿を見ていて私にはしなり具合の変化がわからず「どのようにしなれば良い状態なのですか?」と聞いてみた。そうすると小川さんは答えた。
「手だけがわかっとる。手が、”よし、ここまで”って教えてくれるけん。」
1本1本の竹と会話するように向き合い、45年以上長崎ハタを作り続ける自身の手との対話を繰り返しながら長崎ハタをつくっているように感じた。
現在、そして未来に長崎ハタをつなぐ
小川さんは、ご自身で長崎ハタづくりを続ける一方、技術と遊びの伝達も積極的に行なっている。
小学校でのワークショップや工房でのハタづくり体験、ハタの揚げ方教室、そして工房を資料館として出入りができるようにして歴史や技術に触れられるようにする環境づくり、その取り組みは多様だ。
小川さんの取り組みはすでに繋がっていて専門ではないが長崎ハタを作れる人はいるとのこと。それを聞いてとても安心した。たとえそれが仕事ではなかったとしても今を生きる子どもたちの周りに長崎ハタを作れる人がいるという状態がとても大切だなと私は思う。技術が伝達していくことも大切だが、その地に根付く遊びという”こと”が失われてしまっては技術だけしか残らず本来の姿や目的は薄れてしまうのではと思うからだ。
小川さんは、長崎ハタという”もの”はもちろんだが長崎ハタ揚げという遊び、つまり”こと”も現在そして未来へ確実に繋いでいる。
アクセス
小川凧店(ハタてん)
【住所】:〒850-0803 長崎県長崎市風頭町11-2
【電話】:095-823-1928
【営業時間】:9:00~17:00
【駐車場】:あり
【交通案内】
・JR長崎駅前東口からバスで約20分、風頭山下車約5分
・JR長崎駅から車で約20分
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