鹿児島県姶良市で作られる「龍門司焼」は特徴的な釉薬を使いながら日用雑器を中心に多種多様ものが作られている。300年以上続くこの龍門司焼とはどのような焼き物なのか。前半は歴史や特徴に触れ、後半は多種多様な龍門司焼の表現をまとめている。
龍門司焼とは
窯を組合で守る
有田や波佐見、丹波などの焼き物産地はそれぞれの窯元が集結することで焼物産地を形成している。季節に開催される陶器市では多くの人が歩きながらさまざまな窯元を訪れる光景を目にする。
鹿児島市内から北方向30kmほどに位置する姶良市加治木町で作られる龍門司焼の産地を訪れると、窯元が集結している様子はなく「龍門司焼企業組合」と書かれた看板がある窯元しかない。かつては龍門司焼も他の産地と同じように窯元がいくつか集結しており、共同窯で作陶していたようだが、戦後の不況を乗り越えるために陶工たちが1つの組合組織を結成し、現在まで伝統技法が守り続けられている。
地元の素材から生まれる焼き物
龍門司焼には地元で採れる素材が使われる。成形する土はもちろん、釉薬の原料となる土・石・軽石・シラス・泥・籾殻・囲炉裏なども含め約3〜4km以内にある地元周辺の山から採取されたものを使用している。これらの原料を甕や壺で水と混ぜて不純物を取り除き、調合することで数々の多種多様な釉薬ができるのである。
土や釉薬の原料を地元のものではなく他の産地のものを使いながらつくる産地もある中で龍門司焼のように地元の素材で製造から販売まで一貫して継続されているということは、他の産地にはあまりない特徴的な部分だといえる。
薩摩焼からの派生
鎌倉時代〜江戸時代の約700年、南九州を統治し続けていた島津家。島津家の17代当主「島津義弘」が連れ帰った朝鮮陶工によってはじまったのが「薩摩焼」である。このとき、朝鮮陶工たちは薩摩藩内の各地にバラバラで上陸したこともあり、薩摩焼は「苗代川系」「竪野系」「龍門司系」などいくつかの系統に派生した。龍門司焼は現在まで続いている派生した薩摩焼の1つである。
また、薩摩焼には「白薩摩(白もん)」「黒薩摩(黒もん)」と呼ばれる2種類がある。「白薩摩(白もん)」は、陶土、釉ともに純白に近く茶碗や花器が多くつくられ、藩や島津家が使用するための献上品として使われることが多く、対して「黒薩摩(黒もん)」は、陶土、釉ともに黒褐色の焼き物で庶民が日常使いする雑器として使われていた。
龍門司焼は、酒器や湯呑み、お皿などの日用雑器、「黒薩摩(黒もん)」を得意としている。その1つの要因として、1598年ごろから朝鮮陶工によって鹿児島県姶良市で作られていた「古帖佐焼(こちょうさやき)」の流れをくんでいるということがあげられる。姶良市周辺は白い土が採れにくく、窯の周辺の土を配合して陶土をつくり、釉薬にはシラス中の水酸化鉄などに雑木灰を調合して使っていたことから黒色系の焼物が生まれ、「黒薩摩(黒もん)」が作られていた。姶良市内で今でも窯場周辺から材料を調達して作られる龍門司焼は日用雑器である「黒薩摩」を得意としているのだ。
龍門司焼の釉薬いろいろ
龍門司焼では地元で採れるものを原料にして、多種多様な釉薬が使われている。登り窯を使い、多様な釉薬を使うことで生まれる龍門司焼の数々をいくつか紹介する。
伝統の黒
〜黒釉青流し〜
伝統的な黒い釉薬をかけた後に青の釉薬を流しかけて作られる。
三色の色が混ざりあう
〜三彩〜
素地表面に白色の陶土(化粧土)をかけ、褐色になる飴釉と緑色をだす青釉を流しかけて作られる。
ザラザラとした肌触り
〜鮫肌〜
龍門司にしかないといわれる釉薬を使う。登り窯を使い高温で焼成することで釉薬が縮むことで細かな粒状が生まれ手触りがザラザラと独特な手触りになる。
ヒビから生まれる模様
〜蛇蝎〜
黒い釉薬とシラスと土灰からなる蛇蝎釉を二重にかける。上にかける釉薬が大きく縮み、その割れ目から下にかけた釉薬が見えることでヒビが入ったような模様となる。黒蛇蝎と白蛇蝎があり、黒蛇蝎は登窯ではないと作れない。
アクセス
龍門司焼企業組合
【住所】:鹿児島県姶良市加治木町小山田5940
【電話】:0995-62-2549
【営業時間】:8:30~17:30
【駐車場】: 5台
【定休日】: 年中無休(年末年始お休み)
【陶芸体験】: ¥3,300~
【交通案内】:車利用
・鹿児島空港から15分
・加治木JCTから5分
・鹿児島市から40分
参考資料
うなぎの寝床 つくり手紹介
MBC観光出版事務局 編『太陽と黒潮 : 観光百科・鹿児島の旅』,鹿児島県,1975.12. 国立国会図書館デジタルコレクション
鹿児島大学理学部地学教室応用地質学講座「かだいおうち」
https://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/oyo/advanced/geology/clay.html
中川政七商店の読み物 薩摩焼とは「白と黒」の器の歴史と現在
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